いおり

~Life is Wonderful~

「(有)いおり」はお米からはじまり 年、スーパーマーケットや卸しなど皆様により良い生活を提供することを目標に掲げる地域と共に歩んで参りました。
(※「いおり」についての記事や過去の出来事を紹介します。)

いおりについて

History and About

民営の始まりのころ、京都の加茂川のほとり出町に小さな米屋があった。その米屋の近くに宝ヶ池競輪場があり、店の人たちは、売り上げをみんな競輪につぎ込んで首が回わらなくなり、米卸の営理下におかれるような有り様であった。このうだつの上がらない店に、同志社大学を出た一人の青年が入ってくるところから「いおり」の歴史ははじまる。それが現「いおり」代表の小牧氏である。

氏が入って二年ほどで、それまでの店主が引退し、あとを氏が全て引き受けることになった。途方に暮れながら、その日は一人で飲みながら考えた。扱い量は月三百俵と、ごく平均的な店である「これを十倍にするにはどうするか」。思い出せば学生の頃に、ある人と会う用があった。約束の時間にその人が遅れたので、待たされている間目の前の本屋に入ってひまつぶしをしていた。すると一冊の本が目にとまった。ドラッカーというアメリカの経済学者の著書で、「企業の目的は、利潤の追求ではなく、顧客の創造である」と書いてある。若さの潔癖から、「儲けるための商売はいやらしい」と常に思っていたから、この言葉がばかに気にいった。以来、ドラッカーの信奉者となる。ドラッカーブームが起こったのは、それから十年後だから早い発見である。「三百俵を十倍にするには、そうだ”顧客の創造”、これでいこう」と決心した。そのためには、お客のいる場所へ出ていかなければいけない。

かくして四十五年、現在の左京区岩倉に移転した。しかし、商号は、社会人の出発点となった「伊織」の店を記念して、平仮名で「いおり」とした。「売れる場所へ出る」これは、商売の一つの鉄則である。「しかし、いくらいい場所でも、企業努力しなければ伸びない。結果、うちが大きくなったとすれば、それは伸びる場所プラス努力だったと思う」と振り返っている。

昭和五十四年には酒米に進出。当時としては大冒険だった。メーカー側との交渉は困難を極めたが、軌道に乗り一躍「いおり」の名は同業では有名となった。その後は大阪の摂津(鳥飼市)と宝ヶ池の本社前にスーパーマーケット業務を展開。多角経営の方針も打ち出したり、同時に「青い鳥」運動として中小企業に働く若者の為の親睦会などのヒューマンリフレーションにも力を注いできた。

いつしか、当初の扱い量であった三百俵、その十倍は既に今日までに達成されていることとなる。